塾長メッセージ                        


 

昨今教育改革、ゆとり教育の名のもとに、随分教育現場での光景が、変わってきました。それはできる子とできない子の格差が以前より、明確に大きくなってきていることです。それはなぜでしょうか?

できる子はゆとり教育などに見向きもせずに、目的を持ち、ひたすら勉強する。それはそれで別にいいと思います。

問題なのはゆとり教育というものを、曲解してしまい、小学校の時に勉強に対する、集中力 習慣性 困難なものを克服するという耐性が、備わっていない子供たちが増えていることです。

そのまま中学校に進級するとどうなるでしょう。学習習慣等ができていないわけですから、その結果は火を見るより明らかです。せめて基本的な学習習慣、集中力 長時間問題に取り組める耐性 そういったものは、早いうちに身につけてあげたいものです。それらは放っておいて自然と身につくものではありません。ある程度の時間とトレーニングが必要です。手をつけるのが遅くなればなるほど一番苦しむのは、本人なのです。早ければ早いほど無理なく身につけることができます。

 

ゆとり教育の失敗 いや荒廃が叫ばれて久しい。ゆとり教育とは何なのかということが最も大切なテーマである。 ゆとり教育の本質とは教科書を薄くし、内容を薄弱にして辻褄を合わせることでは決してないだろう。 本来のゆとり教育というのは 学ぶべきことは学び(小学生であるならば計算 漢字の習得は必須である。)段階を経ながら、成長過程に合わせた内容の習得 論理的思考の獲得、これらなども豊富な知識の相互作用がなければ出来るものではない。知識の蓄積 そしてさらにそれらを総動員して論理的思考のトレーニングを積むことによって得られる思考力 教養のみならず人生におけるその時々における正しい判断力などを育むことだろう。 それこそが 精神的 ゆとりというものである。

しかし そのようなゆとりを獲得するために基礎的な(小中)の学業は非常に重要なものである。 それをおざなりにして ある水準を越えた ゆとりを持った精神が見る地平の彼方の美しい光景というものは決して見ることは出来ないものであろう。

さあ無限の可能性を持った子供たちに 私は人生における美しい光景を見せてあげる手伝いをしてあげたいと切に思う。

もうすでに巣立った 東大法学部卒のO君 大阪大学理工学部在籍中のY君たち諸々の諸君はもうすでに その美しい地平の彼方の光景を見ただろうか。

 


 

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